インタビュー
著名な脳科学者である仙台市在住の川島隆太さん。千葉からみやぎ霊園にお墓の引越し(改葬)をされました。「なぜお墓の引越しをされたのか?」「ご家族とのお話合いは?」「大変だったことは?」など体験談をお尋ねしました。
大学生の頃からですから、もう42年になります。完全に宮城県民です。
もともと、父が建てたお墓が千葉にあったのですが、お墓参りに行こうとすると「じゃあ、行くか!」という感じで1日がかりになってしまって、なかなか行くことができませんでした。結局、父か母の命日にちょっと行ければいいという感じです。さらに2020年からは新型コロナの影響で、それさえもできなくなってしまいました。訪れる頻度自体が少ないことで、除草剤を撒いてもどうしてもお墓が荒れてしまっていました。
そんな状況を見かねた妹から「もう、墓じまいをしたら?」と強くすすめられました。それで妹や妻ともよく話し合いをして、僕自身も散骨を希望していたこともあり、異存はありませんでした。
ただ、僕の次の世代である息子たちの宗教観はどうだろうと。それが分からなかったので、墓じまいをするか、それとも改葬するか、息子たちを呼んで実際に聞いてみました。すると、驚いたことに彼らからお参りができるお墓が欲しいと言われたんです。
それまでうちには仏壇もなく、そんな文化を彼らに教えたつもりもなければ、家でそうした話をしたことすらありません。おそらく彼らには彼らの社会があって、この宮城という風土、仙台の公立の学校で教育を受けていくなかで、そういった宗教観が自然に共有されていったのだと思います。
それを受けて今回、改葬することに決めました。4人いる息子のうち、3人は今も仙台に住んでいますので、じゃあお墓は仙台に持ってこようということになりました。
そうですね。僕自身は医学者ですから割と冷徹で、自分が死んでしまった後の意思はもう存在しないと思っています。だからこそ、後に続く息子やその孫たちがどう考えるかということが、お墓を建てるときには一番重要だと思います。今回、息子たちにお墓なんか要らないと言われていたら、おそらく改葬はしなかったと思いますね。
加えてコロナ禍で、お墓がある千葉にまったく行けなくなったことも今回の決断に影響があったように思います。枯れた花がそのまま放置された、草ぼうぼうのお墓ほど悲しいものはないですから。
僕に関して言えばそれはなかったです。うちの宗派は日蓮宗ですが、千葉のお墓は市営霊園で、お寺とのおつきあいもありませんでしたし、所定の手続きについてはすべて業者の方にお任せしました。
千葉のお墓には僕の両親と祖父母が入っていました。4人とも、もともと北海道の出身なので、千葉から宮城に来れば半分、北海道に戻ったようで文句を言われることもないかなと(笑)。
実は北海道はあまり檀家制度がなくて、お寺にお墓をつくるというよりは、納骨堂にみんなまとめて入るケースが多いのです。北海道の人たちは一度、地域の絆から外れて移住してきた方が多く、土地に対する執着意識も少ないうえに宗教観も比較的ニュートラルです。それもあって、僕自身も千葉に対するこだわりはそんなにありませんでしたね。
一番の理由はやはりアクセスの良さです。お参りに行きたいとき、千葉での経験のように、そこに努力が要ると必然と足が遠のいてしまいます。その意味でお線香をあげたいときや、何か報告したいと思ったとき、車で15分くらいでサッと行くことができる距離感が一番の決め手になりました。
あとはペットと一緒に入れる区画があるのもポイントです。うちには以前、15年間も可愛がっていた犬がいたのですが、亡くなって10数年経ったいまでも可哀想で手離せず、お骨を家に置いています。
墓地を購入するにあたって、みやぎ霊園さんのホームページでペットと一緒に入れる区画を検討し、実際に現地にも足を運んでみましたが、最終的には西17区の区画を契約しました。高台立地で遠くに泉ヶ岳などの山並みも見渡せてとても気持ちがいいんです。妻が「わたし眠るならここがいい!」というひと言で決めました。
墓地を購入したのが2020年10月で、お墓が完成したのが同年12月。年明けに改葬してからもう何度もお参りに行っています。季節の花も植栽されて手入れも行き届いているので、うちの次男家族は半ば公園のように使っていますね。孫を連れて「お墓に行って遊んできたよ」と写真をメールで送ってきたりして。コロナ禍のご時世ですから、人がいない場所としてもちょうどいいらしくて、お弁当持参で走り回っています!(笑)。
墓石の種類については妻がこだわりました。以前、僕らはスウェーデンに留学していて、北欧には思い入れがありました。たまたまノルウェー原産の石があったので、それにしようということで。あとは次男がいま、南アフリカに日本人学校の教員として派遣されていることもあって、南アフリカの石も使いました。現在は墓石もインターネットで購入できて、実際の石のサンプルも送ってくれるので便利ですね。
出来栄えですが、クラシカルな日本や中国の石とはちょっと違う、深みのあるやわらかい感じのお墓に仕上がって満足しています。僕自身が無宗教ですから、息子や孫たちが気軽に来ることができて、ほっとできればいいかなと、デザインも敢えてこぢんまりとシンプルにしました。花立ての代わりに献花台も設けて、息子たちには花を供えて線香をあげて拝んだら、花は持ち帰って自分の家に飾るように言っています。やはり枯れたお花がお墓にあるのは悲しいですので。
僕自身が、あまりお墓参りをしてこなかった人間です。父が北海道から両親のお骨を持ってきたのは晩年でしたので、祖父母のお墓にお参りしたことも実はそれほどありません。父や母が亡くなってからもお参りは年に一回くらい。お墓と自分の人生の関わりはほとんどなかったわけです。それもあって、どちらかと言うと僕にとってお墓は手入れに行くのが大変だな、というくらいの感覚でした。ですからお墓が僕自身の人生に何ら影響は与えたりはしていないと思っていました。
ただ、こちらにお墓を移してから息子や孫たちをみていると、たぶん、ちょっと違う人生観を持つんじゃないかなと思うようになりました。特に孫は物心がつかないうちからお墓に行って、そこで楽しい記憶を得て、自分が会ったこともない曽祖父母にお線香をあげて拝んで。そういった経験をもつと、自然と自分が過去から続く人の流れの一部だという感覚を持つのではないでしょうか。
その意味でも今回、僕自身がお墓をこちらに移して良かったなと思っています。祖先とのつながりということを考えると、後に続く家族が自然と自分たちの子や孫を育てないといけないという、義務感や社会観とはまた違う思いを本能的に持ってくれるんじゃないかなと思ったりします。お墓は少子化対策にもいいかもしれないですよ。
今の状況で言うと、やはり家族が集まる場が一箇所、外にできたという感覚でしょうか。物理的に全員が集まれなくても、お墓に行ってきたよ、という報告もあったりと、その場所を通じて家族がひとつにつながっているというような気持ちです。実際、うちの場合、沖縄の方々のようにお墓でお弁当を食べたりしていますので。
それには、みやぎ霊園さんの開放的で明るい環境も影響していると思います。集まる場所が暗かったり、寂しかったりしたらやはりそういう気持ちにならないでしょう。みやぎ霊園さんにお墓を持つことが出来て本当に良かったなと思います。
(取材・撮影日:2021年5月)